学部長の元気対談

東日本大震災医療支援報告

略歴:

今回は報告者:
竹内一郎医師(救命救急医学、講師)、中原邦晶医師(脳神経外科学、助教)、
坂東由紀医師(小児科学、講師)

場所・日時:
医学部長応接室、2011.3.31

(和泉)東日本大地震-大津波(2011.3.11)被災地への医療支援活動、ごくろうさまでした。急性期のDMAT(3月12-13日(羽田空港SCU:竹内・服部)、14-16日(宮城・岩手県:服部・樫見))として派遣された服部潤先生は仕事中で来られないとのことでしたが、北里大学病院医療支援チームの先遣隊・第二次支援隊で活躍された先生方にお集まり頂き有り難うございます。
(竹内)私は、3月18日夜、ドクターカーで出発し、翌朝現地入りし、津波に見舞われた大船渡市で21日まで医療支援活動を行ってきました。第二次支援隊が到着するまで、48時間、不眠不休を覚悟での出発でした(写真右、上段)。
(和泉)医療支援チーム先遣隊として苦労はどうでしたか。
(竹内)われわれの任務は、2週間以上にわたる医療支援活動の現地拠点を立ち上げることでした(写真右、下段)。そのため、必要な薬剤、診療器具一式をワゴン車(災害時緊急車両許可証を取得して出発)に積み込んで、ひたすら東北道を北上しました。翌朝5時半に大船渡市に到着しました。まず、市役所内で現地本部を立ち上げ、直ちに避難所へ向かい、診療を開始しました。元々高齢者の多い町なので、風邪・腸炎・喘息の他に、高血圧や脳梗塞の慢性患者も多数おられました。
(和泉)困ったこと、反省点は何かありますか。
(中原)被災者の多くは津波で薬を流されているので、われわれ第二次支援隊は、診療活動と薬局活動を連動させ完結させなければなりません。 
(竹内) 災害時用の「現地カルテ」は、必要ですね。コピー用紙が絶対的に不足しており、メモ用紙に書き込んだ診療記録を、毎晩、手製のカルテに書き写していました。
(中原)急性期DMATは、阪神大震災の教訓から"赤タッグ"特にクラッシュ症候群の患者の救命を想定していました。今回のような大規模な地震-津波災害では、建物の下になって津波に巻き込まれた方は亡くなってしまい、"黒タッグ"と"緑タッグ"が大半で"赤タッグ"の患者はほとんどいませんでした。
<中略>
(和泉) 小児科の坂東先生は、いかがでしたか。
(坂東) 一か月の新生児に検診をしたとき、避難所のみなさんが皆で温かく見守られている光景に目頭が熱くなり、この子が無事に育っていけるような支援が必要と感じました(写真下、左)。小児診療のみをするつもりはありませんでしたが、成人や高齢の方への診察は学生時代の知識を数十年ぶりに駆使し、チームのみなさんにご協力いただきました。私は福島医大出身なので東北地方の言葉には親近感があり、それが今になって役に立ちました。

(竹内)もう一度行ってこいと言われれば、明日にでも行きます。
(和泉)本当にご苦労さまでした。
   
<北里大学医学生に元気の出る一言>
竹内:現地では被災者である方々が他の被災者のために不眠不休で働いてる姿に我々自身が勇気づけられました。医師として災害時に現場活動するためには学生時代の経験が大切です。もちろん知識だけではありません、体力、チームワーク力も不可欠です。充実した6年間となるようにがんばってください!

坂東:チーム医療の目的"他業種の仕事を理解すること"は、災害現場のカオス(混沌・混乱)で最も発揮できることが、改めてわかりました。医師は診察しつつ薬を仕分けし、看護師は効率的な病状トリアージを行い、薬剤師やロジスティックスはスタッフのニーズを瞬時に把握します。これからの医師は自己の体験を反証し自分を転換させる能力が必要です。復興に向け医学生としてできることを考え、「震災トランスフォーマーになろう」。

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